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forest

 再帰読書(呼び方があってるかは知らない)を実践し初めて3回目。すでに辛くなってきた。再読ページが大体50p程度で1時間程度かかった。大体1章分の25~40pなのを考えると、あと2~3日で新規部分に入れなくなるんじゃなかろうか。とはいえ、再読を繰り返すことで早く読めるようにもなるので、それを信じてもうちょっとがんばってみよう。

 

努力論

 努力論の話を出すと長くなりそうなのでなるべく出さないようにしてたけども、今日読んでたところはおもしろかったので書いてみよう。

 今日読んでた部分は気が散る事、気が散る人についてだった。ちょっと引用するには旧漢字をひっぱってこないといけないので本文に書かれてた例を現代文にすると大体以下のような感じになる。

とある商人が、馴染み客と碁を打っている。その最中に電報が届き、読まねばならぬと思い、相手の手番中にこれを読む。読む中で自分の手番になったら碁を打つ。打ったら再度電報の続きを読み、読み終わると急ぎ返事をかかなければと思うが、碁も終盤にさしかかり、時間はかからないだろうと電報を左手に握りしめたまま碁を打つ。打ちはするが、頭の中では商談の内容や電報の返事を考えている。考えながら、自分の手番になると碁の方を考える。

 よくあるマルチタスクを同時にこなそうとするような例だ。僕自身もよくながらで色々と並列でタスクをこなそうとしてしまうが、最近はどうもうまくいかない。20代の頃はコンテキストスイッチのコストがかなり低く、3タスクくらいまでならそんなに負荷なくこなせていた。それが30代に入ってみると、このコンテキストスイッチのコストが跳ね上がった。正直2つでもきつい。

 理由は2つあると思う。1つはタスクの内容の変化。昔やっていた時も設計やらデバッグやらテストやらをやっていたのだけども、かなり単純に考えていたように思う。悪く言えば、底の浅い仕事だ。いまでこそ言える話ではあるのだけども。今は、昔に比べるとある程度多面的に考えることができるようになった。同時に気にしないといけないことが多くなったので、深く考えなければならない。スイッチの度に一度上昇して、戻ってくると、また潜る。これがコストに影響している。

 2つ目は単純に能力が下がったということ。感覚的なものだが、前は頭の中に考える対象の箱(tmp領域のようなもの)を3つくらい用意して、それぞれを個別に扱うことができていた。スイッチするときは箱を切り替えるだけだったので、タスク切り替えに時間がかかるということは滅多になかった。では今はどうかというと、2つ用意するのも厳しいように思う。これが年ってやつなのか。ちょっと凹む。1つ目の理由から箱に入れるものが増えたのでどうしても複数用意するのが厳しくなったというのもあるが、tmp領域が減ったことは否めない。

 

 ここで何が問題になってくるかというと、若いころの癖が抜けないということだ。露伴風に言うと気が散る癖が抜けていないということだろう。ずっとマルチタスクでやるようにしてきた弊害がここに来て出てきているので、これからは一点集中型に切り替えていきたいのだが、癖がついてしまっているので中々切り替えられない。

 というようなことを昼飯を食いつつ努力論を読んでて思っていたのだけども、そもそも飯を食べ「つつ」本を読むということがダメだと書いてあったのをちょうど読み、「あぁそうだな」と変に納得してしまった。まずできるところから治していこうということで、昼飯食べているときは昼飯に集中しようと思った次第。

 

やったこと

  • forest第二章まで再読
  • forest問題集第二章の部分
  • 努力論3p程度