Clean Coder読んだ
読み終わり申した。
- 作者: Robert C. Martin,角征典
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2012/01/27
- メディア: 大型本
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ボブおじさんことロバートマーチンによるソフトウェア開発のプロとはなんぞや、について書かれている本。正直読むまでそんなに期待していなかったのだが、プログラマ歴40年超は伊達ではなかった。プロ意識の塊のような人だ。ソフトウェア開発を仕事としている人は総じて読むべき本だと思う。
全部で14章まであるのだが、おそらく著者の言いたことの大部分は1章から3章までにほぼ集約されている。
- 第一章 プロ意識
- 第二章 「ノー」と言う
- 第三章 「イエス」と言う
第一章ではプロとしての意識とはどういうものかと書かれている。
プロ意識というのは、自分で責任を取ることに他ならない。
労働倫理や自己研鑚、専門性や謙虚さなどにも言及しているが、一番大事なのは責任をとることだと言っている。第二章、第三章で語られている内容は、責任を取る場合と取らない場合についての内容だ。例えば、よくありがちな、対立を避けるために(うまくいくとは限りませんが、)やってみます、という言葉についてだ。
試しにやってみるというのは、力を温存していたと認めることだ。試しにやってみるというのは、温存しておいた力を使えば目標が達成できると認めることだ。さらに言えば、温存していた力を使って目標を達成すると約束することだ。つまり、試しにやってみるというのは、成功を約束するということなのだ。「試しに」やってみて、望ましい成果につながらなかったときは、失敗したということになる。
上記のように全力でやってなかったことを表明するだけでなく、意識せずともコミットメントしていることになる。本人はうまくいくとは思っていない。つまり嘘をついているのと同じだ。「ノー」と言わせない空気があっても、「ノー」というべきときは言わなければならない。
第三章の「イエス」と言うは、その反対でコミットメントするべき場合を述べている。何に対して責任を追うべきなのか。
プロは頼まれたことすべてに「イエス」と言う必要はない。しかし、「イエス」と言える創造的な方法を懸命に探さなければいけない。プロが「イエス」という時には、確実に約束したとわかるような約束の言葉を使っている。
責任を負うのはプレッシャーがかかる。難しいことだが、やっていかなければならない。
この本を読んでいると、理想からあまりにかけ離れた自分の行動を省みて後ろめたい気持ちになることもある。とは言え、理想のプログラマとはどうあるべきかを知り、そこへ到達しようとするのは極めて重要だ。まずは到達すべき地点を知ることから始まる。
ということで、職業上ソフトウェア開発者をやっている人には是非読んでいただきたい。特に、新社会人には進むべき方向を知るため、そしてこの業界に入って数年経過し、中途半端にスレた対応をしがちになっている中堅のプログラマは喝を入れてもらうために読むべき本だと思う。