ジンメルの貨幣の哲学

BitCoinに触れたので、そもそも貨幣とは何なのか、考えてみたいと思い、手に取った本がこれ。

 

 

オルグジンメルという哲学者が執筆したものをまとめたものだ。ジンメルの書き方はエッセー方式で、結論を導き出すようなものではない。それが果たして哲学という、学問のものといえるのか、よくわからない。とはいえ、とても共感を覚えるものだったので、その内容を元に頭の中にある考えを、全くまとまる気はしないのだが、一度放り出そうと思う。

 

 以下は、ジンメル・コレクションに収録されている「貨幣の哲学」の内容と僕の感想を交えたものになる。

 

 もともと貨幣は現在のように何とでも交換可能なものではなかった。政治の圧により、次第と流通していったのだが、その流通は人々に貨幣に対する認識を変えていくものだった。

 

 物々交換、所有と所有者の関係に貨幣が入り込む。貨幣自身はその量的資産というとてもシンプルなものであるがゆえに、物のもつ複雑な価値からの変換でこそぎ落とされる。しかし、シンプルであるがゆえに扱いやすく流動性を高める。貨幣は何物にでもなれる可能性を秘める。そして流動性が高まったことによって、個人主義が高まり、人の分化促進される。

 

 貨幣の流通によって貨幣自体は無性格で通俗的なものとなる。殺人に対する貨幣での償いは古ゲルマン法において可能だったが、現代においてはできなくなっている。なぜならば、貨幣は何物からでも交換可能になったからだ。貨幣が持っていた、殺人に対する贖罪となっていた何らかの価値が消えた。

 

 貨幣が流通したことによって、人々の幸福志向が高まったのではないか。理由として二つ。それまで所有と所有者が密接につながっていたものの結合が緩まり、流動性が高くなったことによる資産変動の可能性の向上。もう一つは貨幣が何者にでもなれる可能性をもつがゆえに、貨幣を手に入れることが目的に近づくという、目の前に餌をぶら下げられた、いわば射幸心をあおる形になっていること。

 

 そもそも人は幸せをどう定義するのか。安定性か。目的を達することか。人は静も好むが動も良しとする。理性と感性では幸せの感じ方が違うのだろうか。果たして、貨幣の流通は人の幸せに本当につながっているのだろうか。

 

 そしてBitCoin。これが持つ可能性は様々だが、ColoredCoinなどにより、貨幣に属性を持たせる、もしくは所持履歴を追跡できる、などによって、人の貨幣に対する認識が大きく変わることが予想される。人の幸せにとって、貨幣はどうあるべきか。BitCoinが現れた今、考えてみることに意味があるのではないか。